酒原酎也氏のこと

 ※本記事には引用部分が多々あります。引用の手順には念を入れているつもりですがもし問題があったらお知らせください。

 ※本記事ではキャラクターと故人は敬称略で書いています。織田信長に敬称は付けない理論。

 どうも。ブログ界日暮熟睡男こと阿部です。まさか前回の記事からこんなに(5億7600万年)間が空くとはね。

 ところで読書家の諸賢におかれましてはもう『どくヤン!』は読まれたでしょうか。

"何の変哲もないメガネ高校生・野辺が編入した毘武輪凰高校は、地域でも群を抜く恐るべきヤンキー校…! そしてそのヤンキーたちは、ヤンキーであるにも関わらず読書を好むという矛盾した存在、「どくヤン」だった! バイクを駆り、ヤニを吹かしながら『こころ』を暗唱する異常な同級生たちに囲まれ、野辺の平穏なスクールライフは脆くも崩れ去る…! 令和最初にして最後のヤンキービブリオギャグ漫画、ここに爆誕!"

(講談社コミックプラスhttps://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000327907】より引用)

……という唯一無二のぶっ飛んだ漫画である。もうこれ以降人類史で同じもの作られないだろ、と思っているものとして一にけんじワールド(宮沢賢治の世界観をモチーフにした岩手のプール施設。2013年にクローズした。つらい)、もう一つにこの『どくヤン!』がある。全三巻。第三巻は電子書籍のみなので媒体を揃えたい派の人は電子書籍で買おう。ほんとは紙でも全巻欲しいよ。

1~3話の試し読みページ。まだ読んでない人はここから読もう!↓
https://comic-days.com/episode/10834108156683883577

 『どくヤン!』は読者からもスタッフからもたいへん愛されている漫画であり、連載終了した後でも公式twitterhttps://twitter.com/biblioyankee】が感想を捕捉してくれる。福利厚生。このブログもほどなくして見つかることでしょう…… とはいえ、実は本作を知ったのは連載終了後であり、連載中に応援したかった……!と後悔しきりだった。今からでも少しでも話題になって「ハネて」くれないかどうかと考えているのもあってこれを書いているところはある。

 まず『どくヤン!』の何がいいのか。読書というものに対して誠実なのがとにかくいい。これが一番大事。

 終盤のテーマに『本代がかさむ問題』を入れてくれる時点で信頼がおける。作画のカミムラ晋作先生のFanbox【https://kamimura.fanbox.cc/】(無料公開です。払わせてよお!)を読むとヤンキーという知へのアクセスが不利になりがちな層の人間と読書のコラボレーションを描くにあたって至極まっとうで誠実な考えの上で仕事をなさっていることがわかる。ド田舎で娯楽がなく、学生の身分で金がなくて親の文学全集とか青空文庫を読み漁ってた中高生のときの自分が救われる気持ちだよ。(親が文学全集持ってる時点で田舎のわりには比較的インテリ層ではあるが)(金は今もないしほとんど飯と本に消えている)

 その上で各ジャンルを擬人化(ただし全員ヤンキー)したかのような色物揃いのキャラ。たまらないね。作中で実際に存在する本が大量に登場し、その上読みたくなるような紹介がテンポを損なうことなく入っている。むしろこれでもかと詰め込まれる本の話がテンポを作っている。お前のような高校生がいるか!とあくまで現実にある本の表紙が織りなす癖になるグルーヴ感。各話の後に登場した本の目録もまた圧巻。(試し読みでも読める第一話の例を載せるが全貌はぜひこの目で確認してくれ。)

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出典:講談社『どくヤン!(1)』

原作:左近洋一郎 著:カミムラ晋作

 そのヤンキー達のキャラクターもみなそれぞれにいとおしみを抱くポイントがあり(ジャンルに貴賤はない!)、私小説、SF、時代小説、官能小説、推理小説をはじめとする色々なジャンルを網羅している。「学校に官能小説持ってくるのはまずいって言われてるらしいけど官能小説ヤンキーは谷崎潤一郎を持ち込んで事なきを得ているのだろうか」「官能小説ヤンキー、教科書の『陰翳礼讃』を谷崎だからってエロいやつだと勘違いしてそう(※この漫画の舞台である毘武輪凰高校の教科書は不明ですが、それはそれとして国語は(国語しかないと思うけど)三省堂の高等学校現代文B【https://tb.sanseido-publ.co.jp/h-school/hs-kokugo/30-hgenbun-b/】を使っててほしいという個人的な願望、妄想が反映されています。たぶん難しめのやつだけど。賢治の『永訣の朝』とか三島由紀夫の『美神』とか萩原朔太郎の『時計』とか載ってるよ。自分もこれ使いたかったな~)」とか「だんだん能力バトルと化した戯言シリーズについて推理小説ヤンキーに所感を語ってほしい。変格も好きそうだし」(余談:自分が一番好きなのは王道だけどクビシメロマンチスト!)とか「断腸亭日乗(永井荷風の約40年分の日記)を一気読みして死にかける私小説ヤンキーくん(後述)かわいいね(※完全に幻覚。作中には断腸亭日乗どころか荷風も出てきません)」とか「耽美主義ヤンキー、いないのか!むしろ俺が耽美主義ヤンキーになってくれる!(夢二次創作?)」とか無限に想像できる。それにしてもこのオタク、雑念が多すぎる。

 文学として挙げられるジャンルの他、実用書寄りのレシピ本、旅行本なんかもフィーチャーされているのも特徴で(園芸書ヤンキーや育児本ヤンキーもいるらしい)、この作品の「本」「出版」という文化への敬意と愛のデカさを感じさせる。異世界モノライトノベル――いわゆる「なろう」も私小説(というか純文学)と対極にあるジャンルということで中ボスとして大きく取り上げられているが新興のジャンルという特徴は保持しつつ決してバカにはしないバランス感覚であるのがいい。hontoとか電子書籍とか新しい読書ツールの話にここでさらっと触れている処理もうまい!ライトノベル西尾維新くらいしか読んだことがないのだが自分が読まないジャンルでもこういう表現があるのは安心できる。とにかく『どくヤン!』は(ヤンキーにめちゃくちゃトラウマがある場合を除き)どんな本だろうと本を愛する人全てに勧めたい作品である。強いて言えばメインヒロイン(猛烈に誤解を招く表現)に私小説ヤンキーがいるからそのあたりが好きな人のほか、おそらく作画さんの趣味ゆえでSFが強めなのでその方面には特におすすめ。二番手のヒロイン(猛誤表)もSFヤンキーだしね。この言い方だと暴力系ヒロインしかいないことになるじゃねえか。ヤンキーだからね。

 それはともかく酒原酎也という男ですよ。この名前を見た時はしばらく笑い転げたよね。まあこんな記事を読んでいる活字中毒の諸賢にはその由来を説明するのもヤボでしょう。(脳がアルコールでタプタプになった終わり人間はこういうので一生笑っている。関わらない方がいいので道端で見かけたら視線をそらさないままそっと後ずさりして3メートルほど離れたら全力で逃げよう)

 彼が登場したのは第23話『推薦本』。この話は前の話で和解した敵キャラである鬼積読永遠(おにつんどく とわ)(何も言うな)が私小説ヤンキー・獅翔雪太(ししょう せつた)(何も言うな)を始めとする主人公らとの戦いを通じて積読状態を解消し、詫びも兼ねて周りにいろんな本をおすすめされる(なぜなら読書家は隙あらば他人に本を勧めるチャンスを狙っているから)回である。ちなみにルビは小書きも通常のひらがなにするのだが(例:じゅんぶんがく→じゆんぶんがく)そのルールのせいで彼の名前はせつたなのかせったなのか分からない……そのまんま前者かな?

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出典:講談社『どくヤン!(1)』

原作:左近洋一郎 著:カミムラ晋作

 メインヒロイン(猛誤表)、私小説ヤンキーの獅翔雪太。かわいい。ちなみにこの三コマ後にいきなり喀血(咳込んでいるが吐血かもしれない)する。(彼は作家たちが命を削って書いた私小説に傾倒した挙句自分まで病弱になったという経歴がある。かわいいという言葉は本来か弱い、庇護欲を掻き立てるというニュアンスを含むため獅翔くんにかわいげを覚えるのは当然の帰結。いいね?)

 その中でどくヤン達が代わる代わる本をお勧めしに来るのだが、そこでやって来た一人が

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出典:講談社『どくヤン!(3)』

原作:左近洋一郎 著:カミムラ晋作

彼である。

 君、本当に高校一年生だよね?(基本的にはクライマックス以外高校一年生しか出てきません。まあ義務教育じゃないから何歳でもいいのだが)
(もっとも、この回のメインキャラである鬼積読永遠が「酒」を趣味の一つとして挙げていたりするので、ヤンキーにとって今更と言えば今更なのだ。)
そこで彼が提唱したジャンルが「アル中本」である。作中ではこのジャンル分けの時点でツッコミが入っていたが確かにアル中文学というのは一つのジャンルとしてある。そこを拾ってくれて私は大喜びし、こんな文章を書き始めてしまった。

 そこで酒原が鬼積読に紹介したのが町田康氏の『しらふで生きる』である。どんな紹介をしたかはコミックスで確かめてくれよな!

"痩せた! 眠れる! 仕事が捗る! 思いがけない禁酒の利得。
些細なことにもよろこぶ自分が戻ってきた!
4年前の年末。「酒をやめよう」と突如、思い立ち、そこから一滴も飲んでいない作家の町田康さん。
「名うての大酒飲み」として知られた町田さんが、なぜそのような決断をしたのかを振り返りながら、禁酒を実行するために取り組んだ認識の改造、禁酒によって生じた精神ならびに身体の変化、そして仕事への取り込み方の変わるようなど、経験したものにしかわからない苦悩と葛藤、その心境を微細に綴る。全編におかしみが溢れながらもしみじみと奥深い一冊。"
(幻冬舎Webサイト【https://www.gentosha.co.jp/book/b12722.html】より引用)

 元々氏を知っていた酒飲みの読者にとっては『しらふで生きる』かなりの衝撃だったらしいが、私はこれをきっかけにして氏の作品を読み始めたのでそのあたりはわからない。ざんねん。これは禁酒のハウツー本と思って読み始めると肩透かしをくらう。酒を飲むと楽しい。楽しいけど大きなツケを払うことになる。ではこの「楽しい」は、「幸福」は本来人間が得られるものと無邪気に言えるのか?……といった思弁的な文章が延々と続く。枝分かれした思考の道を片手を壁につきながら追体験する。自分の脳で自分の認識を考えようとする、目で目を見るような狂おしい取り組み。

 余談だが町田康氏は存命の作家であるが無頼派の系譜を引き継ぐとも言われていたりする。みんな好きじゃろ?無頼派?な?
 氏の作品は他に『浄土』という短編集を読んだが奇妙な内容の話であっても思弁的なところは離さない書き味から醸し出される独特のリアリティがいい。そうでありつつも淡々と、カラッとした文体が好ましい。そして面白い。乾いた笑いが出る作品好きなのよね。

"ボンクラの同僚にむかつくOL。占い師を探し求めてさまよう男。
浄土にあこがれ穢土にあがくお前。俺。
「私はあなたと別れます。なぜならあなたが途轍もない馬鹿だとわかったからです。足は臭いし、チンポが臭いくせにフェラチオしろと言うし」誰もがみな本音しか言わないすがすがしい街「本音街」、突然現れ日本を大混乱に陥れる巨大怪獣「ギャオスの話」他全七篇。奇想あふれる破天荒なる爆笑暴発小説集!"
(講談社BOOK倶楽部【https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000204794】より引用)

 いきなりチンポとか引用してすまんな。とにかく氏の作品はこれからも読み進めていきたい。待て次回。

 あとは漫画になってしまうが吾妻ひでおの放浪日記(イースト・プレスhttps://www.eastpress.co.jp/goods/detail/9784872575330】)もいい。
これは題名通り一巻目は突発的な家出を行い、ホームレスのような生活を送る(アルコール依存にはなっている)話であり、どちらかというとアルコール依存の内面というよりは社会との関わりの話がコアであるように思う。続巻の『アル中病棟』(イースト・プレスhttps://eastpress.co.jp/goods/detail/9784781610726】)のほうがアルコール依存の治療について尺が割かれている。病棟に集まる老若男女との交流がメインであり、社会の周縁にいる人間(つまり誰より人間らしいということである)が生き生きと描かれている。

 そして、おそらく酒原氏もチェック済みであろう、私がアル中文学というものを確信したきっかけである作家。中島らもの話がしたい。させてくれ!本当はこれを一ヶ月前のせんべろ忌(中島らもの文学忌。すっかり酒飲みの間では定着した「せんべろ」を提唱したことにちなむ)に合わせて書きたかったけどうっかり逃してしまった。

"安くて美味い! 酒呑み垂涎の店が満載!!
「せんべろ」とは千円でべろべろになれるまで呑める店のこと。らもさん率いる酒をこよなく愛する中年たちが、全国津々浦々の安くて気取らない店をレポート。特別座談会も収録。"
(集英社公式サイト【http://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-746720-8】より引用)

 小説家、エッセイスト以外にもミュージシャンであるとか劇作家であるとか広告マンであるとかとにかく色々な顔を持った人物であるが、私は読書しかろくにしないので小説家、エッセイストの面にフォーカスして書いていこうと思う。
 彼のアル中文学を語るうえで欠かせないのはやはり『今夜、すべてのバーで』であろう。アルコール依存で入院した実体験をもとにした私小説で1991年度吉川英治文学新人賞を受賞した名作である。獅翔雪太くん!出番だぞ!(ちなみに同時に受賞した面子もかなりすごい)

"すべての酒飲みに捧げるアル中小説
「この調子で飲み続けたら、死にますよ、あなた」
それでも酒を断てず、緊急入院するはめになる小島容。
ユニークな患者たちとの会話や担当医師との対話、
ときおり訪れる、シラフで現実と対峙する憂鬱、
親友の妹が繰り出す激励の往復パンチ――
実体験をベースに、生と死のはざまで揺らぐ人々を描き、
吉川英治文学新人賞に輝いた著者の代表作が新装版になって再登場!"
(講談社BOOK倶楽部【https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000347687】より引用)

※初版のほうは説明がなかったので新装版から引用
ちなみに新装版の解説は町田康氏だ。一挙両得!

 アル中文学の何が人を惹きつけるか。それは人によってさまざまであると思う。例えば一人の人間が破滅する悲哀。社会から一度落伍し、また復帰するためにあがくハードなサクセス?ストーリーを求める人もいるかもしれない。

 自分の場合は何か。幻想とフェティシズム、この二つである。アルコールの酩酊感による現実から浮遊した(足を踏み外したともいう)幻想の世界。また、フェティシズムというのは一見かけ離れているように見えるかもしれない。しかしフェティシズム文学の真髄というのは五感への刺激すべてを細やかに拾い上げ、それを紙面に事細かになまなまと表現し読者まで酔わせるところにあると考えている。アルコールによる酩酊感を表現するのはそれに通じる。これこそまさに官能といえる。自分の内的変化を正直に開陳するのは服を脱ぐのなんか目じゃないくらい官能的だ。谷崎の『刺青』だって刺青を彫られたことによる内面の急激な変化が伝わってくるのがミソなんだから。あとは文学的に表現されるアルコール依存と破滅というのは切っても切れない関係にある。その破滅の内容もさまざまだが、やはり社会との関わりというより内的な破滅思考のほうに傾きがちになる。これも五感を忠実に拾っていくのと同じように内面の変化や思考を丁寧になぞっていくことに通じる。自分のアル中文学への全体的な所感はざっとこんなところである。

 事実、『今夜、すべてのバーで』では主人公、小島容がアルコール依存で入院した際、アルコールを抜く過程で幻想の夢を見るシーンがある。夭折した小島の悪友、天童寺と共に味が良く、陶然と酔い、二日酔いせず健康を害することもない「神の酒(ソーマ)」を飲む夢だ。(ちなみに天童寺は腰まで髪を伸ばしており、これは中島らもの若いころの"フーテン"時代の髪型である。小島容の方が生き延びた方の"正史"の自分、天童寺が若くして死んでしまった"ありえた"自分がモデル、ということだろうか)

 このシーンがすごく良かった。フェティシズム文学と幻想文学と酒を好み、それらを貫く何らかのピースがあると確信していたもののそれを掴みかねて内面がふらふらと迷っていたときだった。酩酊と幻想が自分の価値観の中で音を立てて結びついた。このくだりが旧版の裏表紙に引用されていなければ中島らもに、アル中文学にハマることはなかったかもしれない。ハマらないほうが良かったのでは?2020年にもなってねえ。2030年になっても擦り続けたるからな。(なんとケチの阿部は新装版が発売されたタイミングで隣にあった100円ほど安い旧版を買ったのである!そしてそれをふと人にあげてしまい(突発的布教)自分は新装版を電子書籍で買い直した。まあ町田康氏の解説が読めて布教もできたのでよし。新装版の裏表紙には何の文章が載っているんでしょうね)もちろん病棟にいる人々との交流も中島らも流のユーモアが発揮されてて楽しい。中島らもはそういう外に働きかけるときの面白さと内面の孤高のギャップがいいなあ。

 あとは中島らもを語るうえで切っても切れないのは「薬物」であるが、このあたりを読むなら『バンド・オブ・ザ・ナイト』『アマニタ・パンセリナ』あたりが良いのではないかと思う。私小説仕立てなら前者、テーマに沿った短いエッセイがいいなら後者がおすすめ。

"懲りずに今夜もキメてしまう……
「悪夢を見るなら今のうちだよ」と誰かがおれの耳元でささやいた――。「悪魔の館」と呼ばれる家に入り浸るジャンキーたち。アルコールをはじめ、睡眠薬、咳止めシロップなどの中毒者たちが引きおこす悲喜劇を濃密に描いた衝撃作。そして、今夜も言葉のイメージが怒濤のように、混濁した脳裡に押し寄せてくる"
(講談社BOOK倶楽部【https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000203044】より引用)

 

"ここはアブナイ立入り禁止の世界!幻覚サボテンや咳止めシロップ、大麻LSDに毒キノコなど、青春の日の奇天烈体験を通して、ひとの本質、「自失」の世界を考察する。"
(集英社公式サイト【http://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=4-08-747025-3】より引用)

 すげえ煽り文だな。声に出して読みたい日本語。ともかく、"ひとの本質、「自失」の世界を考察する。"この文章がちょうど自分の求めているところを掬いあげてくれているように思う。そう。自分の内面に深く深く潜っていってその底にあるものに触れてみたいんだな。底なんてあるかは知らんけど。そしてとにかく中島らもはそれがうまい。読んでいるだけで水圧でギュウと押しつぶされるように感じる。だがそれがいい。重い布団だいすき。また、中島らもは美文を書く作家だと思っているのだが、その美文というのが詩のようなパンチラインであり、それを小説の分量でぶち込んでくる。圧倒的な詩的表現の奔流に吞まれる。このあたりの一例を挙げると

"夢の依存症になった中毒者の望む世界観は、「現実世界は神の見ている夢である」という構造であり、我々は夢を見ているのではなく「夢に我々が見られている」という倒立した関係である。そうした構造の中で我々はひたすら微毒を含有する夢を噛み続け、酔い、夢から醒めるように死んでいくことを望んでいる。"
(集英社『獏の食べのこし』あとがきより引用)

最高かな?『獏の食べのこし』はエッセイの中でも個人的に好きなやつです。

"地上の人口は増えているが、獏の数は減っていて、食べ残す夢の量はどんどん増えている―。夢に酔い、夢の世界をフワフワと浮遊し続ける、“らもさん”のおかしくって奇妙な愛のエッセイ。"
(集英社公式サイト【https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-749888-2&mode=1】より引用)

余談:個人的に美文といえば谷崎潤一郎なのだが彼のそれは頭から最後まで一切のソツがなくするりとまとまったようなものであり、一口に美文と言っても各々でかなり違う。(谷崎は何食ったらあんな美文が書けるんですかね……)

余談二:個人的に中島らもの小説で好きなのは『人体模型の夜』という短編集である。普通にこういう感じの怪奇が好きなので。怖さ<嫌さ系の怖い話が好きなら是非に。

 一見彼の文章は1970年代のヒッピー・ムーブメントから90年代的なユーモアまでが生んだ時代の徒花であるかのような印象を与える。事実エッセイが多いので時代性を映した作家には違いないと思う。エッセイを読むと関西という(自分にとって)異文化の、自分がまだ生まれていない時代の混沌で猥雑でまずい空気が匂ってきてこれがたまらない。(混沌で猥雑でまずいってのは関西の悪口じゃなくて時代の悪口だからね!)文学はなんでも保存できるね。しかし彼の文章は決して一過性のものではない。少なくとも人間が恋も酒も薬物も夢を見ることも克服せず愚かなままである限り彼の文章は価値を持ち続ける。

 最後にここまで読んでくれたみんなに楽しい酒の飲み方を教えよう。詩をつまみにして飲むと楽しいよ。酩酊しながら詩を味わう、といった方が正確か。おすすめはまず中原中也。一人酒とは切っても切れない哀愁がマッチする。さすが。あとは短歌で若山牧水。公式サイト(https://www.bokusui.jp/)で短歌を検索できるので「酒」で検索してにっこりしよう。(検索結果に被りが見られるがそもそもそれぞれの歌集で短歌の重複があるからと思われる)でも医者に酒を止められてむしゃくしゃしてる短歌もあるのでおれこのまま飲んでていいのか……!?みたいな状態に陥らないように注意しよう。旅人でもあるので旅先や移動中の飲酒とも相性よさそうだけど時勢が良くないね。なんか酒飲みばかりになったな。まあ日本酒とつまみの産地を合わせる感覚で酒飲みから生み出された詩と共鳴するところがあるのだろう(適当)。あとはボードレールなんかもいい感じに没入できるんじゃないかと踏んでいるのだが残念ながらまだやったことはない。きっとワインが合うよ!待て次回。(というかこの辺で一本記事が書けそうだからここであまり言わんとこ)

 ここからまた四年後、できたら四年と言わず一週間後の記事に向けて酒量を減らして心機一転頑張っていこうと思います。歯ァ磨けよ!本読めよ!じゃあな!

※お酒は楽しく適量を。酒量のコントロールに支障が出たらすぐ病院に行こう