ゲテモノ寒天の世界

 ※この記事は、私が所属するCCSのアドベントカレンダーに寄稿したものです。

 

 私の祖母は、料理上手な人だった。普段母が作らないようなものを作ってもらい、特に毎年冬に作る甘酒(地元での作り方は酒粕を使わず、米と麹のみで作る。これについてはのちのち個別に記事を書きたい。)は私の大好物だった。そして世の中の「おばあちゃん」の例に漏れず、祖母は会合に手作りの食べ物を持ち寄り、様々な家庭の味をお土産に持って帰ってきてくれたものだった。祖母の友人が炊飯器で作ったケーキはいつも私のお腹におさまっていた。顔も知らない相手の家庭の味を知っているというのも、なんとも不思議な話である。

 しかし、一つだけ閉口せざるをえないメニューがあった。寒天である。ある日、祖母が寒天を作ってくれるというので、祖母の作るものはみんなみんな美味しい、と屈託なく信じていた幼少期の私は期待に胸を膨らませながら完成を待っていた。牛乳寒天にミカンが入ったようなものを想像していた自分の前に出されたものは、かき玉汁のように卵が帯状に混ぜ込まれたしょうゆ味の甘じょっぱい寒天だった。

 絶句して箸が止まる私を尻目に、祖父は美味しそうにソレを食していた。元々みたらし団子のように甘じょっぱいものがあまり好きではなかったので、けして私が思うほど一般的にはショッキングではなかったのかもしれないが、私は直感的に気付いた。

「これは例のお惣菜の仲間なのではないか。」

そう、私は関東に進学するまで秋田の県南で生まれ育ったのだが、秋田には

「マカロニを抜いたマカロニサラダを寒天で寄せる」

というとんでもない代物が存在する。これがその辺りのスーパーで「サラダ寒天」などと名前がつけられて売られているのだ。

 私が知る中で一番意外性のある(婉曲的表現)のはサラダ寒天だが、それ以外にも秋田県民は寒天が好きである。甘く煮ることのできる果物はだいたい寒天になる。上述の会合のお土産の中にも山ブドウの寒天があり、それに関しては気に入っていた。また、秋田市のとあるデパートの地下には寒天専門店なるものまで存在する。かつて一度だけ迷い込み、バットに切り分けられて入っていたカラフルな寒天に惹かれてフルーツ味のをいくつか購入した。そして……例のサラダ寒天、しょうゆ味、そのしょうゆを塩味に変えたものももちろん売られていた。お土産にそちらも買って帰れば良かっただろうか、と一人暮らし特有の孝行心が芽生えた今なら思える。

 今まで述べたものは売り物も含めどことなく手作り感のようなものがあったが、それだけではなく、地元で広く愛されている銘菓にもなっている。「さなづら」という名前で、山ブドウの果汁を濃縮したものを寒天でしっかりと固め、厚紙で挟んだ(思い出的にはここ重要)ねっとりとした食感の羊羹に少し似たお菓子である。ここ最近はしばらく食べていなかったが、それでも味はしっかり覚えている。

 探してみたらしっかりサイトがあった。昔からあるものがこうして現代に適応しているとなんだか嬉しいものである。

www.eitaro.net

 さて、ここで秋田以外の寒天についても少し触れてみよう。戦時中のお菓子に、「うどんかん」なるものがあったのはご存じだろうか。その名の通り、うどんを寒天で寄せて甘く味をつけた食べ物である。戦時中は常に米不足、少しでも主食に小麦を使おう、という呼びかけがなされたことがあった(が、しかし昭和の日本人に米以外を食べろなんて要求は無茶なものであり、まあ思い通りにはいかなかったのは予想がつくであろう)。そのときに考案されたレシピかと予想される。しかし砂糖もかなり貴重だったろうから甘さも相当薄かろうし、半端に甘くするならいっそめんつゆ風味にして食事に取り入れてくれ……!とかつての先人たちが思ったかどうかは定かではないが、私がその時代を生きていたらきっとそう言って泣きつくだろう。いや、台所の城主権限で自力でしょっぱくする。

 余談はさておきこの寒天、もうすでに現代の食生活の中で忘れられてしまったものかと思いきや……

 秋田では現役で存在するのだ。

 秋田の名産品に稲庭うどんといううどんがあり、これは地元でもよく食べられているのだが、これを寒天でよせたものだ。地元の名誉のために言っておくが、けして食糧に困っているのではない(当たり前だ)。秋田の食は豊かであり、現代日本の流通網は全国に張り巡らされている。名産品もたくさんあり、ほとんどは好物だ。

 ただ、本当に寒天が好きなだけなのだ。

 ここまで変わった寒天の話ばかりしてきてしまったが、寒天が好きな人間からすると寒天はもっと広く使われてほしい食材である。余った果物やジャムを自由に使えて寒天自体にカロリーはなく、体重が気になる人のおやつには最適である。私が特に好きなのは牛乳寒天だ。砂糖の量、寒天の量はある程度融通がきくのであえてレシピに言及はしないが、ぜひ作ってみて好きな配分を見つけてほしい。缶詰のフルーツを入れてもいい。コンビニなどでミカンが入った牛乳寒天を見たことがあるかもしれない。牛乳寒天は原料が安く済むのであれをバットいっぱいに作れる。まさにロマンだ。安いロマンだとか言わない。

 最後に、この記事のタイトルを考えたときは(アドベントカレンダーではタイトルを先に決めておく)、ギャフンと言わされた記憶やぼんやりとした印象が先走ってゲテモノ呼ばわりなんぞしてしまった。しかし故郷の食文化というのは少なくとも自分にとっては大事な自分の構成要素であり、思い出ひとつひとつと切っても切れないものである。映画の主題歌が感動的なシーンを想起させるように、食べ物というのは思い出を繋ぎ止める鍵であると思う。でも馴染みのものに対する気安さや照れくささも手伝って、ゲテモノと言ってしまう。しかしやっぱりそう呼ぶのは申し訳ない。なんとも複雑な心情である。

 今度帰省したら敬遠していたそれらと向き合ってみて、食べてみよう。大人になってみたら案外おいしく食べられるかもしれないし、ひょっとしたら何か思い出せるかもしれない。

 この記事を執筆していたところ、偶然祖母から電話がかかってきた。帰省したら彼女から甘酒のレシピと、あのしょうゆ味の寒天のレシピも聞いておこう。